教えのやさしい解説

大白法 691号
 
三 宝(さんぼう)
  仏教では、一切衆生が尊敬し供養し帰依すべき対境として、三宝が立てられています。三宝とは、仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうほう)・僧宝(そうぼう)のことで、衆生を救い世を清浄(しょうじょう)に導くところから「宝」と崇(あが)められるのです。
 「仏」とは、真実の法を覚知し、衆生を救済される教主をいい、「法」とは、仏の悟りと慈悲に基づいて説かれた教えです。また「僧」とは、その仏法を後世に正しく護り伝えていく僧侶をいいますが、広く論ずれば、正法を受持信行し、随力弘通(ずいりきぐずう)の任に当たる僧団および信徒も含まれます。

 釈尊在世の三宝
 釈尊の経論中には、小乗・権大乗・実大乗等それぞれにおいて三宝が立てられます。
 小乗の三宝は、小乗の教主・丈六劣応身(じょうろくれつおうじん)の釈尊をもって仏宝とし、空理を説く四諦・十二因縁・六度等の法門をもって法宝とし、これを修行する阿羅漢(あらかん)・辟支仏(ひゃくしぶつ)・菩薩をもって僧宝とします。
 権大乗の諸経も、それぞれ説かれるところの教主を仏宝とし、大乗の六度(ろくど)や戒定慧の法門を法宝とし、菩薩大僧を僧宝とするのです。
 また、法華経迹門の三宝は、始成正覚(しじょうしょうかく)の釈尊を仏宝とし、迹門理の一念三千を法宝とし、法華会上の声聞・縁覚・菩薩を僧宝とします。
 そして、法華経本門の文上脱益(もんじょうだつやく)の三宝は、久遠実成の釈尊を仏宝とし、本門事の一念三千を法宝とし、本化(ほんげ)の上行菩薩等を僧宝とします。そして爾前迹門(にぜんしゃくもん)すべての三宝は、この本門三宝に収まります。故に小乗より権大乗(ごんだいじょう)、権大乗より実大乗、法華経迹門より本門の三宝が勝れるのです。

 末法文底下種(まっぽうもんていげしゅ)の三宝
 末法の一切衆生が尊崇(そんすう)すべき三宝について日寛上人は『当流行事抄』に、
 「文上脱益の三宝に執せず、須(すべから)く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時(ちゃくじ)の信心なり(中略)久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争(いか)でか即身成仏することを得ん」(六巻抄 一九四n)
と、久遠元初・文底下種の三宝が出現し、一切衆生を利益されることを仰せられています。
 すなわち、末法における仏宝とは、久遠元初自受用報身如来の再誕、法即人(ほうそくにん)の主師親三徳、本因妙の教主日蓮大聖人。また法宝とは、人即法の本地難思(ほんちなんし)の境智冥合、事の一念三千、無作本有の南無妙法蓮華経の戒壇の大御本尊。そして僧宝とは、唯授一人の血脈により下種仏法を正しく継承された唯我与我・本門弘通の大導師・日興上人。及び日目(にちもく)上人をはじめとする歴代の御法主上人と拝することが末法適時の信心となるのです。

 仏宝と法宝は人法一箇(にんぽういっか)
 さて、大聖人が『御義口伝(おんぎくでん)』に、
 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書 一七七三n)
と説かれ、また『経王殿御返事』に、
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(同 六八五n)
と仰せのように、末法の御本仏日蓮大聖人である仏宝と、本門戒壇の大御本尊である法宝とは、本来一箇の人法本尊であり、一体不二(いったいふに)の関係にあります。すなわち、久遠元初における御本仏の悟りがそのまま妙法(法宝)であり、その真実の妙法がそのまま御本仏大聖人の御内証なのです。
 したがって、戒壇の大御本尊はそのまま御本仏の内証のお悟りであり、大聖人の御当体であると拝すべきなのです。

 下種三宝の内証と外用(げゆう)
 このように、仏宝と法宝は本来、一体不二の御本尊ですが、『四恩抄』に、
 「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(同 二六八n)
と仰せのように、この御本尊が世に出現されても、これを正しく相伝される僧宝の存在がなければ仏法は断絶してしまいます。
 そして、この文底下種の大法は、金口嫡々(こんくちゃくちゃく)唯授一人の血脈によって歴代の御法主上人に伝えられていますから、仏法・法宝と同様に清浄に尊崇しなければなりません。
 また、日寛上人が『三宝抄』の中でお示しのように、文底下種の三宝には、内証の法体に約した一体の義と、外用の相に約した勝劣の義との二義が存します。その中、外用に約した場合は、仏は法を師と仰ぎ、僧は仏を師と仰ぐために、法・仏・僧の勝劣次第が存するのです。したがって、総本山客殿の本尊奉安様式においては、中央に法宝の曼荼羅御本尊、向かって左に仏宝の大聖人、右に僧宝の日興上人の御影(みえい)を御安置するのです。
 また、内証の法体に約せば、仏宝・法宝は元来体一ですから勝劣はありません。また、僧宝については、唯授一人の血脈相承によって、本仏本法の法体が御歴代上人の内証に止住し、師弟不二の境界を成じているため、勝劣はないのです。
 この外用の相と内証の体について、外用の相における三宝勝劣の義は、文上熟脱(もんじょうじゅくだつ)の三宝に通ずる義ですが、内証の体に約した三宝一体の義は、ただ文底本因下種の三宝においてのみ拝される深義なのです。すなわち、歴代上人の内証は仏宝と一体ですが、外用において僧宝と拝するのです。

 まとめ
 以上のように、日蓮正宗における三宝尊信の姿は、本門戒壇の大御本尊を帰命依止(きみょうえし)の対境と定め、住持の僧宝である唯授一人血脈相承の御法主上人の御指南に随順していくところに即身成仏の大利益が生じるのです。